■ 第二部 たらちねの道 2006. 7.10


「お~い、舟が出るぞ~!」
「舟が出るぞ~!」
「これは仕舞い舟だよ~!」

どこか遠くからそんな水夫(かこ)の声が聞こえてくる。

「えっ?舟が出るぞ?」
この現代の世の中にそんな言葉を聞く事があるのかな。
何か江戸時代にタイムスライドしたのかな。
何時も好きで見ているケーブルテレビの「時代劇専門チャンネル」の
影響で頭も可笑しくなったのかな。

「そんな馬鹿な!」
早く現代に戻そう!我に返らなくては!

..........

ふっと目を開けると、私は新幹線の窓越しに流れていく風景を見ながら
、急にトンネルに入ったので、目を瞑りそのままウトウトとして、暫しの
間浅い眠りに入っていたのでした。

母の急の入院を聞いて「もう駄目かな」との思いで、急ぎ帰郷することに
なったのでした。
飛行機でも良いが、どちらかと言えば「新幹線」での旅の方が私の性に
合っている気がするので特段の事が無ければそうしている。

4月18日、午前7:16分発「つばさ103号」は定刻に東京駅を
すべりだした。
所持する切符は「おはよう庄内往復切符」。
その時は全然頭に無かったが、後で振り返ってみると34年目の「結婚
記念日」の日だったのです。

..........

懐かしい車窓からの風景は、何時見ても郷愁を誘う。
都会に憧れた少年の頃が思い出される。
ある方は今でも「あの素晴らしい故里の美しい自然が、あなたには有る
のではないてせすか」と言ってくれる。
しかし、少年のあの頃は「東京」,「都会」という言葉が非常に新鮮で
素晴らしい響きをもって私の胸を灼熱の血潮の如くに流れていたのでした。

今、この車窓から見える東北の山河を見ながら、そうせざるを得なかった
時代背景に、良いとも悪いとも判断を下す事の出来ない人間の社会の現実
だった。

..........

午前9;00福島到着。
「先生!すみません。歌詞を書けないでいる私をお許しください!」
「星野哲郎先生にも大変申し訳なく思っています」
自分の想いを言葉に表現する難しさ。
ただ表面的な言葉で語り尽くせば良いというのではないはずです。
心の有る言の葉の表現が、今、出来ないのです。
失望されておられるかも知れませんが、今少しのお時間を下さい。

..........

福島駅で一部切り離した「新幹線」は、午前9:14分頃「板谷峠」を
通ったのですが、何と残雪を見ることになりました。
「まだ雪が残っているんだ!」
新鮮な驚きをもって、暫し呆然と視線が定まらないまま、残像として
残しつつトンネルに入ってしまいました。
トンネルの薄暗い壁から、車窓のガラス越しに見える我が顔を見詰ながら
今更ながらに自分の年輪を感じ取っていました。
暫くして、焦点の定まらなくなった視線を閉じると、その奥にこんな光景が
映し出されてきました。

..........
何時も夢を見て感じるのは、「自分の顔」が見えないということが不思議で
ならないのです。夢を見ながら「鏡」を探して自分の顔を映そうとするの
ですが映らないのです。現実の自分の顔を映したものを想像しても「夢」の
世界では何故か映し出せない。「不思議なことです」。
...........

目の前に広がる光景。
青々とした水平線をつくりだしている「日本海」。
白い漣(さざなみ)が緩やかに流れては、砂浜近くの磯辺に寄せている。
風は爽やかな音をたてては海の色を映し出して青く広がる大空を我が物顔
で流れている。
小島の大地に身を横たえながら、若者は目線でそんな景色を捉えてはいるが
、何を考えているというものではなく、ただ、ぼんやりとしてその様な景色
を眺めていた。

..........

「行雲流水」

どこかで読んだあの書き出し。
「ゆく水の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず 淀みに浮かぶうたかたは
 かつ消えかつ結びて 久しくとどまりたる例(ためし)無し」 (方丈記)

勿論、それ以降は覚えていない。
しかし、どのようなものも書き出しの序章は覚えられるし、また、素晴らしいと
思うが、古文と言われる多くのものが、そんな感じなのは本当に不思議なものだ。

..........

今日も一緒に母と山の畑に来ている。
細身の母は、余り健康とはいえない自分の身を、強靭な精神力で支えながら毎日
海に山にとその仕事に精を出している。
何で私が一人で遊んでおれようか。兄弟五人の中で私だけが父や母のこんな手伝い
をして来たような気がする。
しかし、私には何の苦労とも思われなかった。自分に出来る事をしてやれることで
満足していたような気がする。

私は好きだった。

畑を耕しながら、鍬を打つ手を休めて、腰を伸ばして遠くを見遣る母の姿が好きでした。
-- 今、私は母がその時に何を考えていたのかを理解できるような気がします。 --
私はそんな母の姿に「女」を子供心に見ていたのかも知れません。
海の漁での父への手伝いも、何も文句も言わないで一生懸命な姿で頑張っていたその姿
を思い出すたびに、船酔いで横になっていた自分の姿を思い出し振り返るたびに、後悔
の念で胸が張り裂ける想いなのです。本を開いて勉強をするのも大事な事は理解して
いました。しかし、こんな両親を見るにつけ、今、自分が出来る最大の手助けをすること
が、自分にはこの世で一番大切なこととして思われたのです。
書物は後でも読めることです。
しかし、今のこの両親の命には限りがあるのですから。

私は好きでした。

母が目を細めて遠くを見遣るあの姿に、私は恋心を覚えるのでした。
私と少し斜に構えて、訛声(だみごえ)を更に大きくして話す父親のあの姿が
私は好きでした。
そして、故里の山や海は、私に「自然の美しさ」、「人間愛」の色合いを深く深く
心の奥に残してくれたのです。

..........

新幹線の心地よい揺れに身を任せながら、私は窓辺利に肩肘を付き、手で頭を
支えながら目を閉じて、そんな故里の情景を思い浮かべていたのでした。

---- 山里の 色の変わりて さみしくも
        とまる情(こころ)に 風のさやけさ

---- 見渡せば 山もとかすみ 鶴間池
        色ある人の なきぞ悲しき

私の原体験がこんな歌詞を創らせるのだろうか。

「たらちねの」

は、戻るべき所であり、それが故里であり、万物の胎内なのです。
しかし、それが安息の地であり、自分の存在を意識させ語れる所であったとしても
、戻りうべき所であり、帰りうべき所では無いのです。
そこに「郷愁の想い」はあるのです。
どんなに多くの古人がその想いで語りついできたことであろうか。
「たらちねの」母という言葉の響きは、涙無くしては語り継げない、そして表現
することの出来ない大きな存在なのです。

頬に当てていた手を伝って流れ出た我が涙の冷たさに目を覚ました。

母さん! 今、「天童」を出たよ!

                       -- 了