■ うたの心(訂正版) 2006. 4. 6

俳人・松尾芭蕉のうたに「夏草や 兵(つはもの)どもが 夢の跡」という俳句がありますね。

世間でのこの俳句の解説では、平泉三代・藤原氏の栄華盛衰を儚くも無常なものとして、表現されていると。

秀衡の館跡は田や野原となって、昔の面影は跡形もなく無くなっていて、草茫茫である。

このうたの背景には、中国の「杜甫」の詩を思い出して書いたのではと。

あの有名な「国破れて山河あり」という漢詩です。

「国は荒廃しても山河だけは昔に変わらず残って、廃墟となった城にも春が来ると、
草木だけが昔どおりに青々としている」と。

普通に考えれば、廃墟となした兵どもの夢の跡というのであれば、
荒涼とした荒れて枯れ果てた草地であって、
青々とした夏草という表現では追いつかないものではないか。

夢の跡というのであれば、夏草ではなく、季語は秋や冬を連想させるものの方が、順当ではないか。
例えば「枯れ野」とか「秋枯れ」とか。

そういう自由な見方で見れる所に、作者の解説は不要なものである。

私は、この俳句の表現の仕方にやはり芭蕉の真骨頂が見えると思います。
流石に素晴らしさであり、奥ゆかしい洞察があるかと。

兵の夢の跡は、やはり、秋や冬ではなく、
これから洋洋として広がる夢を持つ青々とした夏草で無ければ、
平泉栄華を偲ぶことの表現として相応しくないのです。

未来に向けた思い、期待、夢。

兵の一人一人がそれに向かって戦ってきたことへの想い。
そのことに対して敬意を表すればこその夏草ではないか。

自分の心の表現は、人夫々に異なるものであり、自由な発想で好きなものの繋ぎ方でいいと思っています。。