渋田川の芝桜
(歩行日ー2004/4/15)

伊勢原駅(小田急線)→渋田川→渋田川の芝桜→相模川→門沢橋駅(JR相模線)→海老名駅(小田急線)(約11キロ)

昨年、伊勢原の大山道を歩いた時、渋田川の芝桜が綺麗だよ、と地元の方に教えられた。その芝桜を見たいものと、また伊勢原行きである。

小田急線伊勢原駅下車。駅を背に北に真っ直ぐに進む。突き当りを右折。道なりに進む。伊勢原の町は、家並もゆったりとし、家々には花が盛りである。矢車草、花水木、藤、牡丹も。畑の点在する長閑なところである。左を見ると、春霞の中に大山が。

渋田川、前回は上流へと遡った。今回は、芝桜を求めて下る。その角には、太田道灌の菩提寺、大慈寺、小さなお寺である。

渋田川の上流は、桜並木が続き、土手の道が心地よいのだが、下流は、どうも勝手が違う。木々は姿を消し、右側には畑が広がる。休耕田も多いようである。住宅際、そして舗装された土手を進む。

菜の花がむせかえるように咲く渋田川、残念ながら、ゴミが多く、水も清流とは言えない。それでも、水音がなんとも心地よく耳に響く。暑いくらいの日差しを、和らげてくれる畑を渡る風も、緑を含み、思わず深呼吸。

小田急線を渡り、小田原厚木道路をくぐると、渋田川が二股に分かれる。右側の小川を進むと、上谷橋下流から、芝桜が見え始める。

この芝桜は、上谷地区の故鈴木健三氏が、奥多摩より一株の芝桜を持ち帰り、昭和45年頃、ここの土手に植えたのが始まりとか。現在では、周りの方々の協力で、一キロ近くにわたって、目を楽しませてくれる。

周りの家々では、産地の野菜や草団子などを販売、またベンチが置かれており、お弁当を食べる人も。

芝桜は、側の右岸にのみ植えられており、所々に、橋が設けられ、また小さな階段で、水辺まで下りる事も出来る。ただ、芝桜を愛でるには、車道側から、車道のガードレール中の土の道からが一番。

芝桜祭りと、旗もなびき、臨時駐車場も設けられるほど、人々を引き付けている。平日なのに、川の両側とも、人で一杯。狭い土手の道はすれ違うにも、一苦労。その中に、カメラを構える人も多く見られる。

周りはまだ畑も残る、長閑な地、あら、牛の匂い。ふと見ると、牧場、とある。長閑さが一層ます気さえする。

土手一面に植えられた芝桜、下には川を持ち、背後には家々が点在する。全山はちょっと多すぎるが、ここ渋田川の芝桜は、なんとも可憐である。教えてくれたご婦人に感謝のひと時である。

600メートルほどに植えられ、と説明板にはあったが、人々の努力だろう、一キロ近くあるように思われる。まだまだ盛んになっていくのであろう、楽しみである。

芝桜と別れ、渋田川をもう少し下る。目印は、太田小学校、そして亀井商店を左折。バスも通る真っ直ぐの道、車の量も、さほど多くは無いのだが、時折、猛スピードのトラックが通ると、身の危険を感じる。

周りは、畑、田んぼが続き、家が点在する。レンゲ畑に、子供の頃を思い出し、喜びの声を上げる。レンゲも、また少し戻ってきたのだろうか。そして、振り返ると、菜の花の向こうには、春霞の中の大山。ひときわ聳え立つ。

真っ直ぐな、そして車の通る道は、歩くのには少々味気ない。ただひたすら歩くのみ。

東海道新幹線が高架を走り、その手前を左折、じぐざぐと進み、相模川へと向かう。相模川、河川敷が広く広がり、水面が殆ど見えない。砂利の土手道を上流へと進む。土手の下は、大木の桜並木、所々にあるボタン桜が満開。そして背後では、時折新幹線が音を立てる。



「戸田の渡し」の碑が土手脇に見える。戸田の渡しは、大山道の一部で、江戸の昔から、門沢橋と戸田村の間の渡しとして、庶民の足、また物資の輸送と、明治の末まで盛んに用いられていたという。



門沢橋で、相模川を渡る。相模川の川幅は、多摩川よりも広いのだろうか、水量は、多摩川の方が多いようである。横浜伊勢原線は、くだりが大渋滞、のろのろである。橋には歩道があるが、その後は歩道も無く、排気ガスも、そしてトラックが来るたびに見の細る思い。幸いに相模線の門沢橋駅はすぐそこ。今日はこれでお終い。