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【57の解説】
人工物に名前をつけてカテゴリーに分けるとき,幼い幼児でさえも,その人工物が実際に果たしている役割よりも,「作り手が何の目的でそれを作ろうとしたのかを考える」のです。3歳児ですでにこの能力が芽生えてきます。その物体がある意図のもとに作られたという①の話の方が,その物体が偶然生じたという②の話よりも,3歳児は「ナイフ」と答える確率が多くなるのです。
【出典】ポール・ブルーム「赤ちゃんはどこまで人間なのか」,ランダムハウス講談社,2006
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【56の解説】
当時の米国最高裁の判決は,「トマトは『厳密には』果物である。実の部分は植物の生殖器官だからだ。しかし『一般的には』トマトはキュウリやマメなどと同様メインディッシュに添えられ,デザートして並ぶことはない。その点では野菜である」という玉虫色のものでした。 で,結局関税のほうはどうなったのでしょうね。
【出典】ポール・ブルーム「赤ちゃんはどこまで人間なのか」,ランダムハウス講談社,2006
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【55の解説】
mare は古英語(古期英語ともいう)では「人間を夢で苦しめる悪霊」すなわち「夢魔」のことだったのです。nightmare とは,夜に眠っている人の胸の上に座り,夢で苦しめる悪霊を表していました。いわゆる「金縛り」の現象を,昔の人はそのように感じていたのです。もちろん,皆さんは「金縛り(医学的には「睡眠麻痺」)」は,睡眠時の全身の脱力と意識の覚醒が同時に起こった状態にすぎないことはわかっていますね。脳が活発に活動しているのに体が動かない――こうした不条理の状態を説明しようと,脳は「今,自分は何かに押さえつけられている」などという幻覚を作りだしてしまうのです。
【出典】カール・セーガン「悪霊にさいなまれる世界」,早川書房,2009
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【54の解説】
明朝体の「比」を忠実にえぞれば,どうみても5画です。左側の「ヒ」は,まず「ト」を書いた後,いったん筆を紙から離し,そのあとハネます。これで3画。そして右の「ヒ」で2画。合計5画。でも,中国の権威ある「康煕字典」では4画になっています。「比」を実際に筆で書く場合は,「ヒヒ」と全く同じものを2個書くからです。それでは明朝体の「比」は何なのでしょうか。これは活字を作るときに「見栄え」のいいように「専門の設計者がデザインした」作品なのです。町中にあふれている広告や看板の文字と同じく,プロのデザイナーによる作品なのです。私たちはともすると教科書等にに印刷された漢字の方が正しいと錯覚しがちですが,それは見栄えや美観を追及した「一作品」にすぎないということに注意する必要があります。
【出典】阿辻哲次「漢字を楽しむ」講談社現代新書2008
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【53の解説】
「顔真卿(がんしんけい)」(709~785)は唐代の楷書の名手で,今でもその名を聞けばいかなる書道家も,思わずその場にひれ伏してしまうほど「畏れ多い存在」です。彼の字は,のちに明朝体活字のモデルにもなりました。その彼が「放生池帖」という本の中で,「校」の「手ヘン」部分をどうどうと「ハネて」書いてあるのです。
学校の先生の中には,「でも,日本の教科書では『校』という字は,木ヘンをハネずに書いている」と反論される人もいるかもしれませんが,日本の教科書に用いられている書体は「教科書体」という,多々あるフォントの一部にすぎません。教科書体が漢字全体を代表するものではないのです。要は「ハネる」「ハネない」の問題ではなく,こちらの意思が相手に伝達(コミュニケート)できるか否かなのです。そもそも本場の中国人の多くが,「木ヘン」をハネて書いている現実があります。
それでも不安で水戸黄門の印籠のような「お墨付き」がないと安心できないという方には,昭和56年内閣告示の「常用漢字表」があります。その説明の中で,「はねるか,とめるか」について「筆写の楷書では,いろいろな書き方がるあるもの」の例の一つとして「木ヘン」が挙げられています。
「筆順」も同じことが言えます。昭和33年に文部省が出した「筆順指導の手びき」の中で「ここに取り上げなかった筆順についても,これを誤りとするものでもなく,また否定しようとするものでもない」とはっきり書かれており,文部科学省も教科用図書選定基準で,筆順は「一般に通用している常識的なもの」によるべきとして,特定の筆順を押しつけてはいません。
要するに漢字の「トメ」「ハネ」や「筆順」は,許容幅の広いものであり,「絶対的な基準はない」こと,もっといえば,「トメ」「ハネ」「筆順」を「減点の対象にするような漢字指導をしてはいけない」ことを教育関係者は是非心に留めておいていただきたいと思います。
【出典】阿辻哲次「漢字を楽しむ」講談社現代新書2008
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【52の解説】
あまりにも似ているので,なぜ②なのかご理解されておられない方もいらっしゃるのではないでしょうか。実は「土ヘン」の「壇」が,「手ヘン」の「擅」に変わっているのです。「どくだんじょう」と言うと,私たちは壇上に上がって一人マイクを持って周囲の注意を一身に浴びている人を想像します。実は正しくは「手ヘン」の「擅(漢音でセン)」で,「一人じめにする」という意味だったのです。だから「ドクセンジョウ」と読むのが本来の読み方なのです。ところが,「手ヘン」の「擅(セン)」が「土ヘン」の「壇」にそっくりなために混同されてしまい,「ドクダンジョウ」と誤って読まれるようになりました。さらに「テヘン」の方が当用漢字に入っていなかったため,「土ヘン」で代用されるようになり,ますます「独壇場」がまさに「どくだんじょう」となったのです。(^^)
【出典】阿辻哲次「漢字を楽しむ」講談社現代新書2008
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【51の解説】
医学界で用いられている「口腔外科」という漢字は,正しくは「こうコウげか」と読むべきものです。「腔」という漢字は,漢音でも呉音でも「コウ」と発音します。それではなぜ,という疑問が出るところですが,実は日本の医学界の誰かが「腔」の漢字の中にある「空」という文字に引きずられて「クウ」と「間違って読んでしまった」のです。そのため蓄膿は「副鼻腔炎(ふくびクウえん)」だし,腹腔は「ふくクウ」と医者は読んでいます。今さら「間違ってました」といわれても,すでに定着してしまっているので,もはやどうしようもないというわけです。
【出典】阿辻哲次「漢字を楽しむ」講談社現代新書2008
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【50の解説】
「湯たんぽ」は中国語では「湯婆」と書きます。といっても,「湯のばあさん」という意味ではもちろんありません。中国語では「婆」は「妻」という意味です。親しみを込めて20代の妻を「老婆」と言うこともあります。寒い季節に,横に妻が寝ていると体温で温かいのですが,容器に入れたお湯がその代わりをするという意味なのです。
【出典】阿辻哲次「漢字を楽しむ」講談社現代新書2008
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【49の解説】
もともと中国では厳冬期に商店の入り口に「綿入れカーテン」または「厚地の布」を地面まで垂れ下げて,客の出入りのたびに冷風が入り込むことを防いでいました。これを「暖気を保つための簾」すなわち「暖簾」と言っていたのです。日本の「のれん」ではとてもこうした役目は果たせません。
【出典】阿辻哲次「漢字を楽しむ」講談社現代新書2008
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【48の解説】
雲水が修業のために各地を巡り歩くことを「行脚(アンギャ)」と言いますが,この「行」は「移動する」の意味で,「唐音」では「アン」と読みます(「コウ」と読めば漢音です)。「行」には「携帯する」という意味もあり,「あんか」は「携帯できる暖房器具」ということで「行火」と漢字では書きます。これを「アンカ」と読むのは唐音なのです(漢音なら「ギョウカ」)。
【出典】阿辻哲次「漢字を楽しむ」講談社現代新書2008
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【47の解説】
平安・鎌倉時代から江戸時代までの長い日中関係の中でさまざまないきさつから入ってきた漢字の読み方が「唐音」です。仏教は基本的に呉音が多いのですが,特に「禅宗」の場合は「漢音」でなく「唐音」が圧倒的に多いのです。たとえば座禅で居眠りをいましめるために叩く棒を「竹篦(シッペイ)」といいますが,「竹」を「チク」でなく「シツ」と読むのは「唐音」です。人差し指と中指の二本で相手の手首を打つことを「しっぺ」と言うのは,これの「竹篦」からきています。
【出典】阿辻哲次「漢字を楽しむ」講談社現代新書2008
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【46の解説】
8世紀以前の日本では,漢字は長江下流域の発音である「呉音」で読むのが主流でした。ところが遣唐使などによって唐との交流が盛んになるについれて,留学僧が持ち帰る唐の発音,すなわち「漢音」が主流となってきました。そのために生じた混乱を解決すべく,792年に桓武天皇が「宜しく漢音熟習すべし」との詔勅を出し,それ以後は漢字は漢音で読まれることが圧倒的に多くなったのです。しかしすでに定着していた仏教の中の「呉音」は漢音化がむずかしく,そのまま温存されました。そのため儒学など学問では「漢音」,仏教では「呉音」という棲み分けがなされるようになりました。明治に入っても「経済」「歴史」「物理」などの学問用語には,やはり「漢音」が使われています。なお官僚の書いた原稿の「未曾有(みぞう)」を「ミゾウユウ」と読んで顰蹙をかった総理がいましたが,「有」を「ウ」と読むのは「呉音」です。
【出典】阿辻哲次「漢字を楽しむ」講談社現代新書2008
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【45解説】
グリーンバーグは英語,フィンランド語,エスキモー語,日本語などユーラシア大陸北部全域で話されている言語は,1万5000年前には単一の言語,すなわち「ユーラシア大語族」であったという。遺伝学者によると現生人類の祖先は5万年前にアフリカを出た150人程度の集団の子孫であるというから,当然人類は共通の言語を話していたことになる。この「ユーラシア大語族」も決してとっぴな発想ではない。
【出典】ニコラス・ウェイド「5万年前――このとき人類の壮大な旅が始まった」イースト・プレス社2007
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【44解説】
江戸時代に相撲では土俵の外に出ることを「土地を踏む」と言っていました。この「土地」がなまって,「ドジ」となったのです。
【出典】佐伯誠一「言葉のルーツ雑学集」日本文芸社1985
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【43の解説】
「チャン」は鉦(カネ)の音,「ポン」は鼓(ツヅミ)を打つ音からきています。異なる楽器を同時に打ち鳴らすことからこの表現の用法が生まれました。
【出典】佐伯誠一「言葉のルーツ雑学集」日本文芸社1985
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【42の解説】
かつて半紙を折って帳面を作るときに,紙の端のデコボコを切り落とすのを「耳をそろえて」断つといいました。今でもパンの端のことを「パンの耳」といったりします。転じて,「耳をそろえて返す」ということは「紙幣の端をきちんとそろえて返す→不足なくきちんと整えて返す」ということを意味するようになりました。
【出典】佐伯誠一「言葉のルーツ雑学集」日本文芸社1985
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【41の解説】
ルイ14世のとき,パリにやって来たクロアチア兵士が麻やモスリンの布にレースがついたものを首に巻いていました。それがパリッ子の目を引いて流行しはじめたのです。ネクタイのことをフランス語ではcravate「クロバット」といいますが,これは croatia がなまったものです。
【出典】坂板元「博学教授のおもしろ読本」同文書院,1991
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【40の解説】
トランプのキングのモデルはイギリスのチャールズ1世(1600-1649)といわれています。チャールズ1世はスチュアート家の始祖である父のジェームズ1世と異なり,かなり暗い性格だったといいます。王権神授説をとって議会を軽んじ,課税を強化,王の権限をしばる「権利の請願」を議会に承認させられたが,議会を解散して専制政治にもどした。清教徒革命で,国民の敵として処刑された。 なお,トランプのクイーンの方は若い頃のエリザベス1世(1533-1603)がモデルだそうです。
【出典】坂板元「博学教授のおもしろ読本」同文書院,1991
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【39の解説】
この商品はちり紙というより,簡易ハンカチという意味合いが強かったようです。(そう言えば西洋人はしばしばハンカチで鼻をかみますよね-あとで洗うのかなあ)「クリネックス」の最初の商品名は「セルワイプス」。しかし売れないので今度は「クリネックス・カーチーフス」。それでもだめで,単に「クリネックス」としたら売れ出したとか。ちなみに「クリネックス」はもともと Clean+ex=Cleanex だったが、創業者のキンバリー・クラーク(Kimberly Clark)が自分の名前の頭文字の“K”を取ってKleenexとしたという未確認情報もあります。
なお,この手のネーミングに関する話は語源探偵団が詳しい。
【出典】坂板元「博学教授のおもしろ読本」同文書院,1991
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【38の解説】
盛田氏は最初,当時の社名の「東京通信工業」の頭文字をとって「TTK」を考えたのですが,これを定着させるには時間がかかると考えやめました。そもそも音の商売なのだから音を意味するラテン語のSONUSと当時流行していた"SONNY BOY(かわいい坊や)"という歌の題名から Sonny という語を思いつき,さらに Sonny が「ソンニー」と読まれる可能性があり,また「損」に通じるということから商売では禁物ということで,n を一つ取り,SONY が生まれたそうです。
【出典】盛田昭夫「MADE IN JAPAN」朝日文庫,1990
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【37の解説】
イギリス海峡にあるジャージ島の知事だったサー・ウォーター・ラレイは,1600年に機械編みのジャージストックというストッキングをエリザベス女王に捧げました。それを非常に気に入った女王は,この編み方をしたものをジャージと呼ぶことを許し,そこから「ジャージ」という言葉が生まれたのです。
【出典】坂板元「博学教授のおもしろ読本」同文書院,1991
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【36の解説】
タッパーは1945年に,リアール・W・タッパーという科学者が発明したものです。彼はこの発明を機に,それまで働いていたデュポン社を辞め,自分でタッパーウェア商会という会社を設立し,このポリエチレン容器を売り出しました。
【出典】坂板元「博学教授のおもしろ読本」同文書院,1991
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【35の解説】
アラビアでは額手の礼といって,額に手をやり平和を求めるしるしを表現するしぐさがあります。それを Salaam (サラーム)といいます。"So long" はこの「サラーム」の転化だそうです。また,ヘブライ語に Shalam (シャロム,おすこやかに)に由来するともいわれていますが,これもアラビア語と同じ語源です。
【出典】坂下昇「アメリカニズム」岩波新書
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【34の解説】
テニスは貴族のスポーツであり,一説によると,貴族はそばに控えさせていた召使いに打ち易いボールをそっと投げさせて,それを相手のコートに打ち返すことでプレイが始まったそうです。つまり,最初の一球はまさしく召使いによる主人への service だったのです。
【出典】バキラハオス「英語おもしろ雑学」三笠書房1991
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【33の解説】
一人がセリフを忘れたためにアドリブをいってごまかします。それをもう一人が同じようにでたらめなセリフでやり返して,相手のアドリブにストップをかけます。こうした即興的なおもしろさを gag (口をふさぐ)と呼んだのです。
【出典】織田正吉「笑いとユーモア」ちくま文庫1986
(ブラウザの「戻る」をクリック)【32の解説】
その1 「ちり,もつ,レバー,山に盛る」---冬はちり鍋が一番!
その2 「父もつまりは爺となる」---諸行無常の響きあり。「母も・・・」って言わないだけましか・・・。
おまけですが,他に「40にしてマドモアゼル」,「『アッ,9時!』線路を走る」,「ブスに二号はない」,「先妻は忘れたころにやって来る」(←これって結構怖い)などがあります。あなたも傑作を作ってみてはどうでしょう。
【出典】織田正吉「ことば遊びコレクション」講談社現代新書1986
(ブラウザの「戻る」をクリック)【31の解説】
ガダルカナルでの激戦は我々に多くのことを教えています。失敗してもその失敗に学ぶことなく何度も無謀な突撃を繰り返す日本軍。それを迎え撃つ銃弾や大砲の嵐。命を重んじる心と冷静な判断の欠如が多数の日本兵を無駄な死に追いやりました。
さて,この「感謝感激雨あられ」のもとの表現は,空中を雨あられのように飛び交う銃砲弾を表現した「乱射乱撃雨あられ」で,戦時中はよく用いられたものでした。そして長い平和の到来とともに本来の言葉が忘れられ,語呂合わせだけが成句として生き残ったのです。
【出典】織田正吉「ことば遊びコレクション」講談社現代新書1986
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仏教でいう「無学な人」とは,すべてを学び真理を究めてしまって「もはや学ぶべきものが何もない人」をいいます。ちなみに,「有学(うがく)の人」とは「学のある人」ではなく,まだまだ学ぶべきことが多い初心者を指します。
【出典】増原良彦「日本雑学大全」徳間書房1982
(ブラウザの「戻る」をクリック)【29の解説】
「荒神(こうじん)」様は「荒ぶる神」のことです。昔は菅原道真のように不本意な死に方をした人が死後,「あらぶる神」になると信じられていました。この神様は怖いがゆえにご利益も大きいとされています。このようにかつては「あらぶる(araburu)」と表現していましたが,音位転移が生じて「あばるる(abaruru)」と変化したのです。かつて「カンボジア難民」を「ナンボジアカンミン」と発音したアナウンサーがいたそうです。私など,今でも「コミュニケーション」「コミニュケーション」のどちらが正しいのか,また「シミュレーション」「シュミレーション」のどちらが正しいのか自信がありません。実は誰かのこうしたうっかりミスがそのまま定着してしまうことはよくあることです。その例として次のものが有名です。
あらたし → あたらしい
さんざか → さざんか(山茶花はどうよんでも「サンザカ」ですよね)
【出典】城生伯太郎「当節おもしろ言語学」講談社1985
(ブラウザの「戻る」をクリック)【28の解説】
中国ではお坊さんは基本的に黒い服を着ていました。そこで「黒い服を着た人」ということで「くろうと(黒い人)」といったのです。もちろん反対は「白い服を着た人」すなわち「しろうと(白い人)」で,お坊さんではない一般人を指したのです。
【出典】春秋社編集部「仏教おもしろ小百科」春秋社1983/1992
(ブラウザの「戻る」をクリック)【27の解説】
「アカンベー」の語源は「赤目(赤い目→あかんめ)」です。なぜ目の下まぶたをひっくり返して赤いところを露出させるのかはわかりません。西洋では鼻先に親指をあてて他の4本の指をひらひらさせたりします。
【出典】日本語探検隊編「言葉の不思議なぜナゾ事典②」KKベストセラーズ1992
(ブラウザの「戻る」をクリック)【26の解説】
「いろはにほへとちりぬるを」で「とうり」の「と」は,「へ」と「ち」の「間」にあるから,「へち間」すなわち,「へちま」。しょーもないけど,これほんまです。失礼しました。
【出典】織田正吉「ジョークとトリック」講談社現代新書1983
(ブラウザの「戻る」をクリック)【25の解説】
1854年7月日本を開港させるため江戸に再びやってきたペリー提督です。彼は当時「江戸湾」と呼ばれていた東京湾を,Mississippi Bay と勝手に名づけてしまいました。彼にとっては,日本はただの野蛮人の国だったのです。結局彼は武力を背景に横浜で「日米和親条約」を結びます。
【出典】板坂元「博学教授のおもしろ読本」同文書院1991
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「いくさ」の「いく」は「力がある,強い」という意味です。「さ」は「矢」を意味しました。つまり,「強い矢」が「いくさ」の語源です。それが「兵士」を意味するようになり,「戦い」を表わす語となりました。ちなみに,この「たたかい」という言葉は,「たたきあう」という形から派生した語です。
【出典】大野晋「日本語と世界」講談社学術文庫1989
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紀元前1200年頃,周という国に滅ぼされたのが「殷」という王朝です。この殷の別名が「商」です。つまり,「商人」とは「殷の国の人」という意味です。殷(商)が滅んだとき,殷の国の人々(商人)は中国各地に散って,商いを始めました。いわば中国版ユダヤ人です。その商売の腕がすごかったということで,商いをする人のことを「商人」というようになりました。
【出典】日本語探検隊編「言葉の不思議なぜナゾ事典②」1992
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「鉄火面」はその異様さゆえに当初から人々の関心の的であり,1698年鉄火面がサヴォア公国からバスティーユ監獄に移されたときには,この人物を一目見ようと多数の農民が集まったといいます。そしてデュマは双子説に基いて小説「鉄火面」を書きました。
さて,バズリーの解読したルイ14世の文書(実際は当時の陸相が書いた文書)には何と書かれていたのでしょうか。そこには,「フランスとイタリアとの国境にあるクネオの町を攻撃していたフランス軍司令官ヴィヴィアン・ド・ビュロンドが,恐怖にかられて敵前逃亡をした。彼を逮捕して夜は幽閉,昼間は鉄仮面をつけて散歩を許すように」と書かれてあったのです。つまり,鉄火面は「双子」の王子などではなく,当時の陸軍大将だったのです。なーんだそうだったのかと,これで一件落着するところなのですが,そんなしょーもない落着ではおもろないという陰謀好きな人々はいまだに双子説を支持しているそうです。こっちの方が確かにロマンはある。
【出典】サイモン・シン/青木薫訳「暗号解読」講談社選書メチエ2001
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ナヴァホ語の動詞は,主語だけでなく目的語に応じても変化しました。しかもその変化は目的語が「長い物(エンピツなど)」「ほっそりして柔軟なもの(ヘビ,ひもなど)」「粒状のもの(砂糖,砂)」「束になったもの(干草など)」「粘り気のあるもの(泥など)」などをはじめ実に多くのカテゴリーに応じて,動詞が一つ一つ変化するのです。また,動詞には副詞までもが取りこまれており,たった一つの動詞がまるごと一つの「文」を表わすことさえあります。もし,第二外国語としてナヴァホ語を習得しようと思えば,フランス語などとは比較にならない,おそろしいほどの動詞の活用を覚えなければなりません。そのため,部族以外の人間がそれを理解することは不可能だったのです。それにしてもこうした難解な言語をナヴァホ族の幼児はいともたやすく獲得してしまいます。やっぱりチョムスキーに言っていることは正しいのでしょうか。
【出典】サイモン・シン/青木薫訳「暗号解読」講談社選書メチエ2001
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僧の修業というのは朝早くからのお勤めにはじまり,規則正しい生活を送らねばならず,また食事も粗食です。つい,衝動的に頭を丸めて坊主を志した人でもその実態に触れると並大抵の心構えではとても長続きしません。こういう人は三日も立たないうちにねをあげて俗界にもどってしまうのが常です。こうしたことから「三日坊主」という言葉が生まれました。
【出典】日本語探検隊編「言葉の不思議なぜナゾ事典②」KKベストセラーズ,1992
(ブラウザの「戻る」をクリック)【19の解説】
幼児が脳の左半球(言語野が存在)に損傷を受けても,言語を獲得したり回復することは可能です。しかし,成人の場合は生涯失語症となったり様々な言語障害が生じることが多いのです。こうしたことからも,母国語の修得には一定の臨界期があることがわかります。そしてそれは,6歳から思春期の13歳頃までと言われています。これを越えてからの母国語の獲得はほぼ望めません。原因としては,増加し続けていた脳内のシナプス数などがこの時期を境に,一定になってしまうからであると考えられています。
【出典】スティーブン・ピンカー「言語を生み出す本能(下)」NHKブックス,1995
(ブラウザの「戻る」をクリック)【18の解説】
チョムスキーの示したのは次のような文でした。
Colorless green ideas sleep furiously. (色のない緑の概念たちが猛然と眠る)「colorless(色のない)」のあとに「緑の(green)」が続くことはあり得ないし,また「概念たち」が「眠る」こともあり得ません。ただこの文は,文法的に見ると完全に「正しい」文です。
【出典】スティーブン・ピンカー「言語を生み出す本能(下)」NHKブックス,1995
(ブラウザの「戻る」をクリック)【17の解説】
生活に密着するものほど語彙が豊富になるということの例証として,「イヌイット語では『雪』の様々な状態を表す語彙が400語以上ある」といわれたりしますが,これは真っ赤な嘘。いわば「都市伝説」の一種です。実際は英語の語彙とだいたい同じくらいのせいぜい12語程度です。1911年にボアズがイヌイットには4つの語根で雪を表すといったのが発端で,そのごこの数はどんどんと増えつづけ,ついには400以上となったわけです。どうせ言うなら大きくいったほうがインパクトがあるということでしょうか。
【出典】スティーブン・ピンカー「言語を生み出す本能(下)」NHKブックス,1995
(ブラウザの「戻る」をクリック)【16の解説】
「ことばの魔術師」シェークスピアの語彙は屈折形は同一とした語(見出し語)の数で約3万語。これを意外と少ないと感じる方も多いかもしれない。しかし,英文学史上その学識をもって鳴るジョン・ミルトンのほぼ3倍だそうです。とりわけ,シェークスピアは「法律」の専門知識が豊富で,その語彙の豊かさに目がくらむそうだ。さらには,哲学,古典学,歴史,博物学,医療,薬学,軍事,政治,地理,その他様々な角度から彼の作品が研究されていることからもその語彙の豊富さが窺われる。
【出典】大場建治「シェイクスピアの墓を暴く女」集英社新書,2002
(ブラウザの「戻る」をクリック)【15の解説】
幼児は「音節発音期」「喃語期」「一語文期」「二語文期」を経て,ついに「ダム決壊期」(これはピンカーの造語)を迎えます。突如,それまでの幼児的な発音や表現から脱皮して,完全な文で話しはじめるのです。この時期はだいたい2歳半~3歳半であるといわれています。ただこの時期の変化があまりにも急であるため,どんな順でどんな変化が起きるのかはまだ正確にはつかみきれていません。
【出典】スティーブン・ピンカー「言語を生み出す本能(下)」NHKブックス,1995
(ブラウザの「戻る」をクリック)【14の解説】
この「3単現」の-s は古英語の名残にすぎず,現在では無用の長物です。しかも口を開くたびにさきほど挙げた4点を常に意識しておかねばなりません。ところが,英語圏で育つ幼児はおそくとも3歳半までには -s を必要とする文の90%以上で -s を使い,使ってはいけないところではまず例外なく使わないようになります。「言語を生み出す本能(上)」(ピンカー)には,高卒の両親を持つ未就学児サラが,見事にこのルールを使いこなしている例を日常の発話の中からいくつか紹介しています。
・When my mother hungs clothes, you let'em out in rain?
・Donna teases all the time and Donna has false teeth.
・Anybody knows how to scribble.
・What comes after "C"?
【出典】スティーブン・ピンカー「言語を生み出す本能(上)」NHKブックス,1995
(ブラウザの「戻る」をクリック)【13の解説】
明治の初め,英国からチョウの本が輸入されたとき,そこにはチョウの数え方を One Individual と書いてありました。individual は「個体」の意味です。ところがそれを日本語に訳すときに「頭(とう)」という語を用いてしまったのです。「個体」を「頭」とするのは,よく考えれば適切ではなかったかもしれません。
【出典】佐伯誠一「言葉のルーツ雑学集」日本文芸社,1985
(ブラウザの「戻る」をクリック)【12の解説】
現在最も精密な数字は,心理学者ウィリアム・ネイジたちが推定したもので,4万5000語です。これですでにシェークスピアが使った語の3倍近くになります。しかもこれは内輪の数字で,固有名詞,数字,外来語,イニシャルなどは入っていません。それらを含めると平均的高校卒業生の語彙は約6万語で,シェークスピア4人分に匹敵します。
【出典】スティーブン・ピンカー「言語を生み出す本能(上)」NHKブックス,1995
(ブラウザの「戻る」をクリック)【11の解説】
発売されたときからアメリカ人は two Walkmans なのか two Walkmen なのか頭を悩ましてきたそうです。性差別をさけて"Walkperson"に変えても,複数形は"Walkpersons"なのか"Walkpeople"なのかと問題が残ります。ピンカーはそもそも日本の和製英語は不可解なものが多いとして日本のTシャツにはわけのわからない英語らしきものが書かれていることを挙げています。ただ,ソニーではこの問題にすでに回答を出しています。ソニーの主張する複数形は「Walkman Personal Stereos」です。
【出典】スティーブン・ピンカー「言語を生み出す本能(上)」NHKブックス,1995
(ブラウザの「戻る」をクリック)【10の解説】
7・5調のリズムの形成は比較的新しく,およそ1500年前かそれ以降といわれています。「古事記」「日本書紀」などに現れる歌謡は,古いものほど7・5調のリズムから離れていきます。さらに,1700年ほど前に日本語から分離していった琉球方言に見られる歌(琉歌)の基本的リズムは8・6調なのです。
【出典】安本美典「説得の文章術」宝島社新書,1999
(ブラウザの「戻る」をクリック)【9の解説】
「サピア=ウォーフの仮説」は,何もこの二人が正式に発表したものではありません。彼らの著作から後に引き出されてうんぬんされるようになったものです。「仮説」とあるようにこれは証明されたものではありません。ウォーフは学者になる前は火災保険の仕事をしていました。その時,ガソリン缶の置かれている場所よりも,「空の」ガソリン缶が置かれている場所の方が火災発生率が高いことに気づきました。「空の(empty)」という言葉が「(液体の)ガソリンが入っていない」→「危険のない」という発想で,そこにタバコを捨てる人が多く,そのために「空」ではあるが「起爆性の気体が充満した」ガソリン缶が爆発するということが起こったのだとウォーフは考えました。「空の」といっても決して間違ってはいないのですが,捉え方に違いが生じたのです。このように言語がその人の思考を支配する例は結構あります。戦争中,悪名高い731部隊では人体実験の対象者を「人」と呼ばず,「マルタ(丸太)」と呼んでいました。こうすることで人間を殺害しているのだという意識が薄らいだのかも知れません。
【出典】酒井邦嘉「言語の脳科学」中公新書,2002
(ブラウザの「戻る」をクリック)【8の解説】
ここでいう「盆」とは中国語で「底の浅い鉢」のことです。「盆地」の「盆」が,底の平らな日本の「おぼん」ではなく,「鉢」のことだと知れば合点がいきます。太公望の呂尚(りょしょう)がまだ貧しかったとき,妻から離縁を迫られて離婚した。しかし,彼が出世して斉の国王になったとき,その妻が今度は復縁を迫ってきた。呂尚はそのとき「盆(すなわち鉢)」の中の水を地面に撒いて,「鉢からこぼれた水は二度ともとにはもどらないのだよ」といったという。
【出典】故事成語 目からウルコの85話,阿辻哲次,青春出版社,2004
(ブラウザの「戻る」をクリック)【7の解説】
この横線一本はトリの「瞳」を表しています。烏も他の鳥も同じような瞳を持っているのですが,なにぶんカラスは真っ黒なので,「瞳」も見えないだろうというわけです。この烏の漢字は歴史が古く,最古の漢字である「甲骨文字」の時代から一貫して,「烏」は「鳥」よりも線が一本少なく表現されています。
【出典】故事成語 目からウルコの85話,阿辻哲次,青春出版社,2004
(ブラウザの「戻る」をクリック)【6の解説】
「荘子(そうじ)」に,かつて馬のランク分けと鑑定に優れた「伯楽(はくらく)」という名人がいたことが書かれています。これが日本に入り,やがて馬の管理と売買を担当する職人を意味する「博労(ばくろう)」の語源となりました。
【出典】故事成語 目からウルコの85話,阿辻哲次,青春出版社,2004
(ブラウザの「戻る」をクリック)【5の解説】
このことわざは,「七歳になったら男女は共学にしてはいけない」といっているのではありません。数えで7歳,つまり満6歳くらいになると子どもと体が大きくなり,性に関しても初歩的な知識と関心が芽生えだすころであるから,別々の布団を用意してやりなさいということなのです。「席」とは本来「敷物,ゴザ」を意味し,このことわざでは「布団」を表しているのです。
【出典】故事成語 目からウルコの85話,阿辻哲次,青春出版社,2004
(ブラウザの「戻る」をクリック)【4の解説】
中国語で中指のは「無名指」といいます。なぜ「無名」であるのかはわかりません (^^ゞ そもそも「薬指」がなぜ「食指」なのかもわかりません。中国の古典書「左伝」に,食指が動くと、必ず珍味に出くわすという特異な才能を持っていた鄭の公子の話がありますが,これは「食指が動く」という表現の語源であって,「食指」という単語そのものはそれ以前から用いられていました。
【出典】故事成語 目からウルコの85話,阿辻哲次,青春出版社,2004
(ブラウザの「戻る」をクリック)【3の解説】
中国語で「先生」は,「教師」という意味ではありません。英語のMisterにあたる語です。たとえば,田中さんに対しては「田中先生」と呼びかけるのが一般的です。日本でキャバレーの呼び込みが「シャチョー,いい子がおりまっせ」と通行人に呼びかけるのとは違うのです(^^ゞ
【出典】故事成語 目からウルコの85話,阿辻哲次,青春出版社,2004
(ブラウザの「戻る」をクリック)【2解説】
前漢の無骨漢朱雲(しゅうん)は,私腹を肥やしている宰相張禹(ちょうう)を憤り,時の皇帝成帝(せいてい)に厳しく直言しました。ところがこの張禹は皇帝の寵臣であったため,皇帝は激怒し,逆に朱雲を罰しようとしました。このとき朱雲は朝廷の檻(てすり)にしがみついて抵抗したため,檻が折れてしまったといいます。やがて,皇帝にとりなす者もあり,皇帝も朱雲の直言が誠意から出たものであることを理解しました。壊れた檻を修理しようとするとき,成帝は「これからも直言を提起する者が出るように」と折れた檻をそのもあまにしておいたといいます。
【出典】故事成語 目からウルコの85話,阿辻哲次,青春出版社,2004
(ブラウザの「戻る」をクリック)【1解説】
中国では古くから男性のシェフがいました。だからこれは男尊女卑の思想からいっているのではありません。この表現は「君子は厨房を遠ざく(『孟子』)」という言葉が変化したものです。
かつて中国では(日本でもそうですが),食肉は家で飼っている鶏や豚を台所で解体して入手していました。生き物を殺すわけですから,当然断末魔の声を上げることもあります。「君子」とは高徳で心優しい人のことですから,こうした状況を目の当たりにすると,とてもその肉を食べる気にはならないでしょう。だから,「君子は厨房を遠ざける」べきだと孟子はいうのです。でも,これって完全に偽善ではないですか?
【出典】故事成語 目からウルコの85話,阿辻哲次,青春出版社,2004
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