ここの地侍たちが36人衆といわれる廻船業を始めた。
こんなの初めて見た。
ウィキペディアより拝借した焼失区域写真。
寺町界隈、三重塔がある海晏寺。
酒田駅、昭和40年代の大きな駅はどこもこんな風だった。
陸羽西線の列車はこの0番線に着く。
酒田の街並
駅前はスーパーが撤退した跡地らしい空き地が目立ち県内第二の町にしてはさびしい。
2011年7月24~26日
酒田駅で出迎えてくれた獅子頭。
山形県の庄内地方にある酒田と鶴岡。どちらも人口10万少々で県内2位と3位の町がわずか20キロの距離を置いて隣接している。こういう場合お互いをライバル視するあまり仲が良くないというが、酒田と鶴岡は例外で良好な関係にあるらしい。酒田が海に面した商人町、鶴岡が内陸の城下町とその違いが明白だからかもしれない。
大火のあった酒田で昔からの寺町が残っているのが不思議だったが、寺の立ち並ぶ(焼失部分の上側)ところが防火帯になったのだろう。
その寺町にある泉流寺は奥州藤原氏秀衡の妹が逃れた場所で、その遺臣たちがここで廻船業を始めたという。
酒田の発祥地ともいわれる泉流寺。
酒田駅のホームに大きな獅子頭が飾られている。このあと市役所前と商店街の入り口もっと大きいのを見かけた。
市街地の中心部にえらく立派で垢抜けた商店街があると思ったら、このあたり一帯が火事で焼けたところらしい。
大火の後すっかり建て替わった市街地中心部の商店街。
このスイカ、カメラを向けていたら四国産だよと声がかかった。